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昭和42年03月07日 朝の御理解



 昨夜親教会にちょっと御祈念前にお礼に出さして貰いました。そしたら奥間でお茶でも頂いておりましたらどうしても私はもう送ってやると仰るんです。あっちこちらの車が今度購入されておられます。丁度文男先生が乗っとります様なあの車と同じ様なのが来とります。それで送ってやるという訳なんです。恐ろしゅうしよったら罰かぶりますちいうてから言うけれどどうでも送ってやりたいもんですから送って頂きました。
 親先生もまああちらに購入されたばっかりですけん、やっぱ自分も乗ってみたいわけなんですね。私もあすこまで乗って行くと言うてから乗って見えました。途中からでしたかその現場の方のあちらの電気やら、全部設備が出来たということをお話しとりましたから。ほんならこのままあちらの夜景をですね、見に行こうと仰いますもんですから、ここから、勝彦が同乗いたしまして、繁雄さんと四人であちらへ参りました。
 全館電気がついたわけでございます。もうそれこそ目も眩いばかりで御座いました。表が道が悪う御座いますから横の東側の道路のお爺ちゃま達の部屋の、裏の入り口から入らせて頂いたんですけれども、それでもうあの洋間に参りましたらシャンデリヤがついとりました。もう金色に輝くばかりの親先生が喜びなさいますもん。はぁち言うてからですね。あの大きなソファーに腰掛けてからほらもうちょいとほんに素晴らしい。
 私も一緒にまぁそげん言うてから、誉めたことでございますけども。誉めたというがその、何と見事な事じゃろうかち言うて、あの親先生もあちらの勝彦と一緒に学院に行っとられました、先生が運転して見えられましたから、皆んなで行ったことでございますけれども。帰らして頂きましてから丁度、昨夜は久富繁雄さんところのお父さんの五十日祭と、それからここに御霊家に合わせてお祭りをする。
 お祭りが夕べございました。帰ってから、もう十時頃から奉仕さして頂いて、皆さん帰られた後で、家内と二階で話すことでございます。そりゃちょいとお前、お前の部屋でも家具が全部入ってから見事なことじゃが、特にその洋間の夜の電気の一杯ついた時の見事さと言うたら、本当に目を見張るというか見事なことだと。あすこに何日かの後に、俺達は移らせて頂かなければならんのだが。
 本当に言いながら、こんなこっちゃいかん、こんなことじゃいかんと言いながら。いよいよこれは引越しという段取りのところまで、おかげを受けたんだけれど、このままでは、お母さんいかん、結局、あの家に入らせて頂いて、良い内容というものをですね、頂かなければ、いよいよ入っても、何かしらんけれど、空の様な感じがするぞと言うて話したことでごさいます。
 これは私は、皆さんも同じことだと思いますですね。やっばり皆さんのお広前ですから、あのお広前にご縁、おかげを頂いておるという、皆さんの信心の内容というものが、あの広前に、やはり相応しい信心にならなければですね、おかしいですよ。そんなことを私あの、思わせて頂いてから、直ぐ休ませて頂いてから、必ず私は、布団の中で、また、御祈念をするんですよ。
 そしたらですね、頂きますことが。もう、見事な見事なケヤキかなんかの板を削った時に、木の目が綺麗にこう出るでしょう。もう、見事な板の木の目を頂くんですね、御心眼に。どういうことじゃろうかと思うて、又、そのことをお伺いさせて頂きましたらね。木の目、見事な木の目ということは、心の目ということ、木は心。見事な心の目ということ、いうなら、御教えを頂きますならばですね。
 『信心するものは、肉眼をおいて心眼を開けよ』と仰る。いわゆる、心の目を開いていくのぞということです。皆さん、心の目を開いたら、どういうことになるか、心の目を開いていかなければならない。信心するものは、肉眼をおい、て心眼を開けよと、どの様な、例えば、事柄、問題の中にあってもです。そこには、必ず、御神意があるということなんです。
 神様の思いと言うものが、込められておるということ。それは、痛い痒いに至るまで、神様の思いがあるのですから、その神様の思いのところを、分からして頂くところの世界なんです。そりゃ困ったこつじゃんの、そりゃどうするのと言うのは肉眼の世界なんです。困った事でも、そりゃどうすんのと言うことも何ーもいらん、本当に、おかげとしてそれを頂かして頂ける心なんです。
 又は、はぁこれは自分のことのために、お気付けを頂いておることだろうと分かることなんです。そういう、私は世界が顕現されてくる。私共の行く手に、そういう世界が開けてくる時にです、不平もなからなければ不足もない。只、相済みませんとお詫びとお礼の世界が開けてくるのですよ。どうぞ、皆さん、椛目にご縁を頂くならですね。ここに出来る出けんは別として、ここに焦点をおかなければ駄目です。
 そういう信心を、自分のものにさしてもらうための、信心でなからなきゃ駄目です。そういう、信心に、頼みもせん、願いもせんのにです、例えば、昨夜の御理解を頂きますとです。例えば、洋間はこげな風にせにゃいかんばの、シャンデリヤば、こげんつけにゃいかんばのと、誰ーれも、ほんなら、私が言うた訳じゃないのだけれどもです、私自身が、あすこへ住まわせて頂くわけなんだけれども。
 こげんせにゃいかん、あげんせにゃいかんと言わんなりに、あぁしたおかげを受けて行きよるということはです。こげんして下さい、あげんしてして下さいと言うて、頂くのではなくて。神様の方が、いわば下さるということのおかげは、どういう様なことから頂けるかということなんです。昨夜ですね、久富さんところの、お父さんの五十日祭を奉仕させて頂いたんです。私は、知らなかったんです。
 夕べ、せにゃならんということを、だから、親先生のお供して、ゆっくりして行っとりますのです。こっちは久富先生が居るけん、御祈念なすんどるぐらい思うて行っとった。久富さんも、ついて来とんなさいますけれども、今夜、五十日祭をして頂くてん言いなさらんでしょうが。帰ってきたら、御親戚が皆んな見えとりますもん。ぞうたんのごと、そんなら、そんなことじゃなかたい。
 十時から御祈念も出けとりませんもん。それから、御祈念さしてもらい、それで、ひもろぎ一つ切っとりました。神饌が出来とるだけでございました。それで、結局は、私一人で、いうなら、夜の御祈念に合わせてさせて頂いたんですけれども、開扉をさせて頂いて、私、また、祝詞座についてからですね。先生ほんなら開扉をちょっとしといて下さいと。そして御霊様がこの御霊家にお移りになるのでございますから。
 開扉だけしといて頂いて、御祈念だけさして頂こうと、開扉を久富先生がされたと一緒ですね、あちらのお爺さんが、お父さんが本当に何というですか、円満な、にこやかな喜び一杯の顔で入られるところを頂くんです。そしてですね、私は驚きました。驚きましたというが、たびたびのことですけれどもね。皆さん、甘露飴という飴がありましょうが、ようラジオなんか、テレビなんか宣伝しとる。
 あの甘露飴なんです、甘露飴がですね、丁度、こう雨が降る様に上から落ちてくる。その、お爺さんの入られる、そこんところに、もう甘露飴が降る様にして、上から、雨の様に落ちてくるところを頂くんですよね。もう、それこそ、私が、どんなにいうなら、理解力がなくても、頭が悪くても、本当に、直ぐ、はぁなるほどという感じなんです。皆さん、皆さんが、そういう御心眼を頂かれたとしたら、どう思われますか。
 天理教では、甘露台ということを申しますですね。それから、成長の家では、甘露の法と、いわばあちらの一番有難いお経文の様なものの、甘露の法ち言う。甘露とは、甘木の甘いという字が書いてある。露は露と言う字が書いてある。私は、その意味のことは、どういう意味か良くは知りませんけれどもです。それこそ、最高ののりのあめ、のりということは法なんです。
 それこそ、有難い勿体無いの歓喜の喜びのです。もう天も地も喜び合うておる。そういう喜びのお恵みの中にあるということなんです。信心をさせて頂いておればです。だんだん、身に徳を受けていくところの信心、五十年信心したって、只、信心しとりますと、拝みよるだけの、只、おかげ頂くだけの信心であったら、それこそ、五十年信心したって、一生信心しとりますというたって、たいしたことないです。
 私今度学院に参りましてそれを通感したんですけれども。本当にこの検定試験というものがもし私に無かったらですね。もう恐ら、私はああいう様な勉強しなかっただろうと思うんです。金光様の信心を本当に例えば筆にでも現わして書くといった様な、勉強しなかったらだろうと思うです。様々ないわば勉強もさせて頂きました。おかげでそれが自分のものになるのですから。
 それを只ノートいっちょ覚えりゃよかというぐらいな信心ではですね。やっぱり一生それだけでしょうが。本気になって稽古するということになってくる時にです。いうならば、一週間か十日間の間に、金光教の信心というものをです。本当に、色々な意味合いで、どういう、例えば、試験を出されても、質問されてもです。それに、答えられるだけのもが出けて来るんですから。勉強しなければ駄目です。
 その気にならなければ。信心も同じこと、本気で身に徳を受けさせて頂く、信心させて頂いて、身に徳を受ければ心配はないと。昨夜は、そんな御理解頂いたんですよ。信心して身に徳を受ければ、心配はないということはですね。どういうことかというとですね。氏子が信心して身に徳を受けてくれればね、神が心配がないということなだそうです。夕べ御理解頂きました。
 なるほど頂けば頂くほどそうだと思うんです。あの氏子は神の信用受けた徳を受けた。もう、あの氏子だけは大丈夫だという、神様の方がご心配なさらんのです。もう本当に御理解頂かにゃ分らんです。なるほど身に徳を受ければ心配はないとおっしゃるのは。こっちは心配なかばってんと思うたら、ぞうたんじゃなか、神様の方が、その氏子に対して、もう心配なさらんのです。
 もうそして自分の思う様に、その氏子におかげをやんなさることが出来るわけなんです。願わんでも頼まんでも、それこそ、甘露の放雨なんです。おかげというものは降る様に、しかも降る様なおかげを、その氏子が受け止めてくれるんですから。どんなに、これも世界中の氏子に、おかげはやってあるという様に、雨の様に降ってるおかげでもです。みんなの心の、心掛けが悪いから、受け物がないから。
 それを受け漏らしとるだけなんです。ですから、どうでも、ここんところに、焦点を頂かなければです。私は今度最後の面接の時に、十何人のいわば偉い先生方達が並んでおられる前でです。本当に第一番に体のことを心配、どの先生でもお体の方はどうですかとこう言うて下さるんです。おかげ頂いてもう次には御造営のことを聞いて下さる先生もございました。本当に試験というのはもうとにかく嫌なもんですもんね。
 三日間も続けてですから、さぞかし、お疲れでございましたでしょうち言うてから、まあねぎろうて下さるんです。対して私は申しました。本当に三日間一生懸命でございましたけれど、大体、根が好きな勉強でございまますから、もう楽しい、楽しい試験でしたと言うて、先生方が皆んなですね、笑うてられました。そうですよね。教祖伝か、教義とか、教学とか、もう、私の好きなことばーっかりの勉強なんですもん。
 もう信心に関することばっかりなんですもん。英語があるとか、算数がある、そんなもんじゃないですもん。国文なんかもございましたけれども、国文なんかも私の好きな、いわば昔から学科だったです。十二科目ございましたけれども、どれもこれもが、私の好きな、いわば勉強ばっかりですから、私は、本当に大変だったんですけれども、やはり、楽しい試験であったと。
 皆さん、例えば、そこんところの信心がです。身に徳を受けていくという事の勉強がです。本当に試験があるところに、私は、修行もいとわんじゃない、その修行そのものが楽しゅうなる。そこまでは、皆さんの信心がですね、切り変えらなければですね、本当に、私が申します、椛目通いの値打ちはないです。それは、昨日、夕べから、熊本の太田先生が見えとられますが。
 本当に、この神様ちいやもう本当に、条件に及ばんと言われる。おかげを受けていかれることが。あちらの娘さんをやっておられるところのお父さんなんです。目が見えられなくなって失眼寸前、昨日、私は、なお詳しく聞いたんですけども、あの、こちらに向こうて、鹿児島県と熊本県の県境なんです。そこから、あの、ほんなら、どうでもこうでも、椛目におかげ頂きなさいち言うてから。
 三日郷の人達親子三人で見えとりましたが、その方達をお導きしてくるその道の中からですね。あの道中から少ーし見える様になったんだそうですよ。全然見えん見えんち言いよったばってん、こうやって来なさりますけん、やっぱ少うしは見えなさいました。ここにおんなさっても、私の姿が見えないくらいですそれでも。そして帰りにですね、お神酒を頂いてから、あのお神酒にお燗をして、お神酒の補強をですね。
 こうやってから、こうやって目に付けられる様になってから、段々、段々、見えてから、自分、現在不自由なさらんだけのおかげを頂かれとるそうです。そういう様な、おかげというのがです。どこからどういう風にして現れてくるのかと。勿論教祖金光大神様の御取次のお働きというものがです。あっておるけれどもそのお働きが椛目で、いうならば十全にあっておるということなんです。
 何の障害もない、何の邪魔も無い教祖の神様の、そのいわばそのままのお取次の働きというものが、このお広前にあっておると言うこと。それは、何処の教会だって同じことが言えるでしょうけれどもです。私は、他方の教会のことは知りませんから、私は、ここのこと申しますが、あってるんです、確かに。それを頂き止められないと言うならば、頂き受けとめきらん方が悪かつでしょうが。
 昨日の朝、総代さんの永瀬さんが、朝のお夢に頂いてられます様にです。金光様が合楽のお広前に下りられておるとこのお知らせだった。私がそれこそ金光様が見えておられるから、貴賓室にお供をして参りましたところが、金光様がですね、金光様がお便所に行くと仰った。私はそのことを本当に、私はあら本当に私はですね。あの素晴らしい事だと思ったんですよね。昨日は私親先生をお供させて頂いたんですよ。
 そしたら、勝手のとこの見事なお便所が出来とるでしょうが、あすこがわぁこれは見事な便所がでけとる。入ったっちゃよかのち言いなさいますもん。どうぞお使い下さい。ほんならいっちょ、私が一番口にいっちょおかげ頂こうと言うてから、便所に入られましたんです。そういう様なことやらです。昨日永瀬さんが頂いた、いわゆる善導寺の親先生、即生神金光大神様なんですいうならば。いわゆる、三代金光様なんです。金光様が、私が、貴賓室にお供させて頂いたら。
 一番におい出られたところが、お便所に行きたいと仰ったから、お便所にご案内させて頂いた。出て見えてから、金光様が仰っておられることがです。結構なお便所でしたと仰ったそうです。結構なお便所でしたという事は、結構な御結界でしたということでございましょうが。然も、私が、ほんなら、客間で、これから金光様の何かその、ご奉仕させて頂こう、いうなら、おご馳走でも差し上げようと言うて戻ってきたところが、いいえ、私は、お店の方で結構でございますと仰ったそうです。
 私共は、お広前のことを店、店って出るんですね。私が商売人だもんですから、お店の方は閉まっとるかとか何とかいう風な、御結界とか、帳場と同じことなんです。帳場と同じ事なんです、ここは。何処何処の何々の教祖とか、宗祖とか言われりゃ、もう、幾つの部屋も、幾つの部屋も、向こうへ通って、お取次を頂かなければ、会いにはでけんという様な中に、金光様の御信心だけじゃない、一番、金光様が店先に座って、皆んなを直に、お取次下さる。  ( 途中切れ )